「Jazzの森 − Installation Art × GHIBLI Jazz −」の舞台美術について僕らが考えたこと
先週の16日に公演が終了したhotaruGIG企画「Jazzの森−インスタレーションアートとジブリジャズ−」にご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。愛知芸術文化センター・大リハーサル室の収容人数まるまるの360席満席でした。入場できなかった方、申し訳ございませんでした。次回公演に向かって、現在準備をすすめています。次回公演を楽しみに待っていて下さると嬉しいです。
Junkoさんの歌声、S.B.A.Bさんの楽曲アレンジと演奏、とてもカッコ良かったです。自然の豊かさ尊大さだけでなく、その中にある暴力的な側面も表現されているように感じました。そこにJunkoさんの神秘的なヴォーカルが加わって、とても素敵でした。さて、フィリフヨンカの舞台美術・衣装についてですが、僕らが制作するにあたって考えていたことを主観にもとづいて語ってみたいと思います。宮崎駿監督やスタジオジブリ製作の作品群について一言で述べることなど到底可能でないことなのですが、それらを観て育った僕たちの世代が、そこから学びとれたことの大きな山のほんの一角でも表現できていたら、と思っています。
Junkoさんの歌声、S.B.A.Bさんの楽曲アレンジと演奏、とてもカッコ良かったです。自然の豊かさ尊大さだけでなく、その中にある暴力的な側面も表現されているように感じました。そこにJunkoさんの神秘的なヴォーカルが加わって、とても素敵でした。さて、フィリフヨンカの舞台美術・衣装についてですが、僕らが制作するにあたって考えていたことを主観にもとづいて語ってみたいと思います。宮崎駿監督やスタジオジブリ製作の作品群について一言で述べることなど到底可能でないことなのですが、それらを観て育った僕たちの世代が、そこから学びとれたことの大きな山のほんの一角でも表現できていたら、と思っています。
今回表現しようしたのは「すべてのものに生命がある」という思想です。どんなに奇妙なものでも人間に有害なものでも、科学的な無機有機の分別を越えて、すべてのものに生命や神様が宿ると信じられるこの思想は、日本人特有のものだと思います。日本の神様には本質的に悪い神様がいないということも、日本人の自然観をよく表わしています。どんな災害があったとしても、何らかの原因があって(元々は気のよい)神様を怒らせたと考え、神様の怒りを鎮める努力をする。この考え方は人を謙虚にし、自然と上手く付き合っていくための達観的な手段ともなっていて、科学至上の時代以前の基本概念でした。そこで今回の舞台美術は、生物とも無生物ともとれる、善人とも悪人ともとれる、白と黒もある、でも何らかの気配がそこいらじゅうに満ち溢れていると感じられる空間を目指しました。
ジブリ作品のなかで私たちが特に象徴的に感じている言動のひとつに、「となりのトトロ」でメイちゃんがしゃがみこんで小動物を注視し観察しているポーズがあります。多くの大人たちが、これは○○だねえ、と類型の名称にあてはめて通り過ぎるところを「これは何をしているんだろう」や「この子は手足が少し長い」といったその個体について思いを馳せているこのポーズをとても大切に、そして愛おしく思うわけです。
この愛おしい「観察」を観ているお客さんに是非体感していただきたい!と思って僕たちが持ち出した手段が、かくれんぼという捜索ゲームでした。僕らが庄内川の神様にお願いしてお借りしてきた不思議な魅力のある石をキャラクターに見立てて舞台美術内に配置し、お客さんに探し出していただくというものです。元々、奇岩奇石には何かが宿ると信じられていますし、この捜索ゲームをすると同時に舞台美術を詳細部まで「観察」してもらえると考えたわけです。そして「観察」をすることで、モコモコと奇妙な形態をした今回の舞台美術もまた石のキャラクターに見間違えたり、または他の生物に見えたりすることが出来たらと考えたわけです。そんな「何かいる?」という気配に満ち満ちた空間演出が今回の設計意図です。もし僕らが事前に数えておいたキャラクターの数より多く見つけることが出来たお客様がいたら、僕らの伝えたいことの多くは伝わったことでしょう。
コンサート終了後、お客様が各々で舞台美術の目前まで近づき、少し怯えながらも触れたり、石キャラを探したり、写真を撮っている場面を見受けることができました。舞台美術のみを撮影されるのは初めての体験です。皆様が何かしらの気配を感じて下さったのだと、とても嬉しかったです。
最後に、舞台美術にずっとへばりついて見守ってくれていた通称「カマ神さま」をご紹介します。勝川の工房でモコモコさせてからの3、4日間ずっとくっついて、搬入後も変わらずそこにいたカマ神さま。モコモコしてたからカマキリの卵だとおもったのかな。それともどこかに卵を産んだのでそれを見守っていたのか。フィリフヨンカは舞台美術の精霊または化身として崇めていましたが、最終的には森に帰ることができたようです。日本人は(仏様はさておき、)神様に対して友達感覚でいるときがあって、それが神仏習合が原因なのかはわからないけど、なぜか馴れ馴れしいところがある。カマ神さまありがとー









